仕事における不平等

 公立学校の教員には残業手当というものはない。定時に出勤して定時で帰ろうが、朝早く出勤して夜遅く帰ろうが、給料は同じである。また、仕事の密度がどうであろうと給料は同じである。

 仕事の内容がどうであれ、給料は変わらないのだから、多くの教員は負担の重い仕事をやりたがらない。負担の重い仕事とは、運動部の顧問、クラス担任、生徒指導主任、教務主任、進路指導主任、学年主任などである。

 底辺高では、ほとんどの教員がクラス担任を回避しようとする。生徒指導に追われて、「やりがい」というものがほとんどない。

 部活動も運動部や一部の文化部は負担が重くなる。好きでやっている教員はいいが、押し付けられた場合にはかなりの苦痛を伴う。ほとんどの学校では、土日祝日の休みも部活動に追われる。お盆休み返上で部活動をする時もある。

 部活動は、休日出勤の場合、3200円支給される(2018年度現在)。4時間やっても10時間やっても3200円。昔は1200円だったような気がする。

 負担の重い仕事を逃れる方法(理由)はいくつかある。「健康上の理由」がもっとも多い。その他、親の介護、子供の世話...など...。

 仕事の内容を決めるのは、たいてい管理職になる。分掌調整委員会という組織があるが、最後に決めるのは管理職である。したがって、各教員は、最終的には管理職と交渉することになる。

 何年も続けてクラス担任をやらない教員が居る。何か理由があるのだろうが、悪びれた様子はまったくない。なかには担任批判をする者までいる。仕事量が少ないのだから、民間企業ならば減給か左遷なのだろうが、公務員なので、何のお咎めもない。

 教員間で仕事量にかなりの差があることは、管理職の責任だろうが、彼らは何もしようとしない。したがって、その差は開く一方になる。

 管理職志望の教員が負担の重い仕事を買って出たり、部活動の好きな教員が休まずに部活動をすることは別に構わないが、仕事量の偏りで疲弊している教員が居ることが問題である。

 少し乱暴な言い方になるが、自己都合で深刻な状況を抱えた教員を除けば、「わがままで図太い者が楽をし、お人好しで気の弱い者が忙しい思いをしている。」と言える。

空出勤

 民間人からは信じられないと思うが、教員の世界では、一部の教員による空出勤が存在している。

 公立学校ではタイムカードというものがない。何時に出勤して何時に帰宅したかは自己申告である。その自己申告が正しいのかどうか、管理職が確認する手段がない。加えて準備室という「厄介な」存在がある。準備室とは、各教科ごとの教員の控室のような部屋だ。化学準備室、生物準備室、物理準備室、社会科準備室、体育教官室...など、管理職からはその準備室の状況は見えない。

 空出勤が横行するのは、夏休みなどの長期休業中である。「教員はいいわねぇ。夏休みとか冬休みがあって。」と、言う人がいるが、実際は、生徒が休みでも教員は出勤することになっている。

 夏休みなどの長期休業中には授業がないので、朝、職員室で朝会をしない。したがって教職員が職員室に一堂に会することはない。誰が出勤しているかは、「動静表」で確認することになるが、その「動静表」は各教員の自己申告で作られている。

 教員が出勤しても直接準備室に行って仕事をすれば、ほとんどの職員には会わない。管理職にも会わない。逆に出勤しなくてもほとんどの教員にはわからないのだ。

 管理職がチェックできないシステムになっている。

 動静表で出勤になっていても、実際出勤してない教員は少なくない。後で動静表を訂正し、年休届を提出すれば良いのだが、バレなければそのままだ。また、出勤しても、届けを出さずに、午後2時3時に帰宅する教員も非常に多い。

提言

 直ちにタイムカードを設置するべきである。もちろん顔認証などの認証システムは必要である。このままでは、正直者が馬鹿を見る状態が続いてしまう。

この記事を書いた人

アクトイン代表:熊原